• スポットタイトル

壱番蔵

この蔵は、明治期以降移入された木造トラス構造の屋根をもった蔵と、それ以前の和風の屋根組構造をもった蔵の二つが合併してできていました。

それぞれの蔵の建設年次は不明ですが、明治期には、「中一」の屋号を持つ北山艀(はしけ)の蔵として使用され、和風の屋根組の蔵の梁には、「中一」の屋号の入った部材がかけられていました。艀(はしけ)は、北前船などの喫水の浅い和船用の荷物の取次ぎ用としてではなく、喫水が深く港内に入りづらい為、沖合に停泊する貨物船の荷物の受渡しを主業務としていました。
この蔵の姥神神社側には、上林回漕店があり、その上林回漕店は近江商人で北前船の活躍の時期には、長崎俵物(俵に詰めた乾物)を取り扱っておりました。

この蔵の前面の道路は、この付近に三本あった広小路と呼ばれた道路の一つで、いにしえ街道と海辺(現国道は波打ち際)をつなぐ道路としては、隣家の建物と土蔵の間にあった通常の道路よりかなり広い幅員をもっており、広小路は、昔から大火の多かった江差の下町の防火線の役割を持たせた、松前藩の防火対策と言われておりました。

もともと、この姥神町は、産土神(氏神)姥神大神宮が津花町から現在地に正保元年(1644年)に遷座したことにより付けられた名前で、江差港湾の中枢に位置し、江差草創の地ともいわれており、宝暦期(1750年代)までは、有力者は近江商人が大部分を占め、問屋・小宿・廻船業者・大手商家が店舗を構えて経済の中心地を形成しておりました。

その後、寛政期(1789~1804年)には、地内の江差地場大手商人(主として能登・越後地方から渡来し定着した商人)が台頭して、江差経済を左右するまでに成長し、この街が北前船取り引きの最盛期から明治中期の終焉を迎えるまでの歴史の舞台となっていました。

北海道江差町の観光情報ポータルサイト

営業時間

9:00~17:00

定休日

不定休

料金

無料

所在地

北海道檜山郡江差町字姥神町42-3

お問い合わせ

江差町役場追分観光課観光係

0139526716

※掲載情報は2021年3月時点のものです。
※掲載情報はその後変更となる場合がございますので、詳細は公式サイトなどをご確認ください。