道東で生きる面白い人、素敵なもの、忘れられない場所。点と点をつなぐように追いかけ編んできた中西拓郎さんの軌跡|Domingo

道東で生きる面白い人、素敵なもの、忘れられない場所。点と点をつなぐように追いかけ編んできた中西拓郎さんの軌跡

ひと

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北見市

道東とは、その名の通り北海道の東側のこと。オホーツク、釧路、十勝エリアまで包括した広大な土地を指します。隅から隅まで熟知している、という人は、そう多くないのではないでしょうか。
高校卒業後に関東で就職し、5年働いたのちに北見市にUターン。その後「自分にしかできない仕事をしたい」という思いで道東の情報発信を始めたのが、一般社団法人ドット道東の代表、中西拓郎さんです。

2020年6月には、仲間とともにクラウドファンディングで資金を集めて出版した道東のアンオフィシャルガイドブック『.doto(ドット道東)』が発行部数1万部を記録。地元目線で道東を紹介した濃い内容で、道内の他のエリアはもちろん、全国的に道東のファンを増やしました。

そして2022年9月には、1号目のガイドブックに続き、2号目の「アンオフィシャルビジョンブック」を発売。1000人以上もの読者の、道東で実現したい理想が詰まった圧巻の誌面をつくったのです。

生まれたときから道東にいる人、いまは離れているけど帰りたい人、道東が好きだけど帰らない人、そして、縁もゆかりもないけど道東が気になる人。「いろいろな人をひっくるめて、関係人口を増やしたい」と話す中西さんのこれまでと、ドット道東のこれからの野望を聞きました。

自分にしかできない仕事が、果たして地元でできるか?

北見で生まれ育った中西さんが、地元を出たのは高校卒業後。国家公務員として防衛省の配属になり、千葉県へ移住しました。

「地元を出たいという思いがあり、全国転勤の仕事を希望して国家公務員になったという感じです。僕がいたのは航空自衛隊で、必要な物品の購入や在庫管理、配送といった事務仕事がメインでした」

防衛省勤務時代の中西さん(真ん中)

防衛省勤務時代の中西さん(真ん中)

仕事自体は楽しい、けれど、いいポストについて定年まで勤め上げても、きっと次の日には違う人が自分の座っていた席で組織を回していく。「自分は代替可能な存在なのか?」と思うと、よりいっそう、自分にしかできない仕事がしたいという気持ちが大きくなっていきました。

「けれど、自分に何ができるかはまだわからない。地元に帰りたい気持ちもあったけど、そもそも北見はいまどんな状況で、どんな店があって、どんな仕事があるのかもわからない。自分と同じく関東に出てきていた地元の友達のなかには『いずれ帰りたい』と言っている子も多かったんですが、帰って何をするのか判断するための材料となる情報がありませんでした」

「これはまずい、じゃあ自分が情報発信しなければ」と思い、中西さんは5年間続けた公務員の仕事を辞め、2012年にUターンすることになります。

北見風景

制作のイロハを学び、ローカルメディアを立ち上げる

Uターン後、最初に門を叩いたのはデザイン会社でした。「地元の情報発信をしようにも、そのころはデザインツールであるIllustratorの存在も知らなかったんですから」と中西さんは笑います。

デザイン会社勤務時代に中西さんが企画したTシャツ『KITAMI CITY』

デザイン会社勤務時代に中西さんが企画したTシャツ『KITAMI CITY』

営業から制作までさまざまな業務を担当し、2年弱の在籍で印刷物が完成するまでの流れをひと通り経験しました。その後は独立して広告の企画や編集の仕事を始め、自費出版でリトルプレスも制作。つくり手の世代感が伝わるものにしたい、と、自身の生まれ年である『1988』をタイトルとしました。

1988 vol.4表紙

「『道東をクリエイティビティでもっと刺激的に豊かに』というタグラインで、自分の身の回りにあることや、帰ってきてから出会った面白い人たちを取材して、記事にしていきました。最初は月に一度の発刊を目指したのですが、ひとりでつくる限界を迎え、4号目からは2ヶ月に1冊ペースに切り替えて、1年で8冊もリリースしたんです(笑)。発売日を自分で設定して、それに間に合わせるために4日くらい徹夜してつくったこともあったので、仕事はいまも忙しいですけど、当時の経験があるから乗り越えられています」

HARU2

2017年には一般社団法人オホーツク・テロワールの理事に就任し、オホーツクの食を中心に紹介するフリーペーパー『HARU』の編集長も務めました。

奇しくもそのころは、インディペンデントなローカルメディアブーム。十勝や釧路エリアにも中西さんと同じような思いを持って活動している人たちがいて、時折顔を合わせるうちにだんだんと仲良くなっていったといいます。

志を同じくする仲間たちとの出会いと、新たな出発

「そんなときに話の流れで、全国でさまざまなローカル事例を見てきた5人のゲストを道東に誘致し、彼らにこのエリアを好きになってもらう旅をプランニングするという『道東誘致大作戦』を2018年に行うことになったんです。5人もいるんじゃ、僕ひとりではどうにもならない。そこで、道東各所で僕と同じような取り組みをしていた彼らに声をかけて、クラウドファンディングでお金を集めて、ようやく実現しました」

道東誘致大作戦

クラウドファンディングの支援枠を十勝、釧路、オホーツクの3エリアに分けて、より多くの金額を集めた地域でゲストがツアーおよびトークイベントを行うという斬新な企画。これが成功を収め、大きな反響を得て、『道東誘致大作戦』終了後も中西さんたちは各所で行われるイベントに誘われるようになったそうです。

より多くの金額が集まったのはオホーツクエリア。2泊3日のツアー・イベントが行われました。

より多くの金額が集まったのはオホーツクエリア。2泊3日のツアー・イベントが行われました。

「『道東誘致大作戦の人たち』としていろいろなところに顔を出していたのですが、これはあくまでプロジェクト名であり、僕たちには名前がない。じゃあ、自分たちの旗印みたいなものを作ろうか、と、当時のボードメンバーで法人を立ち上げました」

名前は、一般社団法人ドット道東。広い北海道の東側で暮らしている人々(点)を繋いでいく、という意味が込められています。設立して最初に話し合ったのは「僕たちにはどんなことができるだろう」ということ。

一般社団法人ドット道東のメンバー。中央が中西さん。

一般社団法人ドット道東のメンバー。中央が中西さん。

「名刺代わりになるものをつくりたいという話をしていて。やはり僕らの一番の強みは人とのつながりや持っている情報だな、と改めて感じたんです。メンバーも十勝、釧路、オホーツクエリアそれぞれに住んでいるので、全部ひとまとめにしたら、きっとすごいものができる。それで『ガイドブックをつくろう』という話になりました」

こうして始まったのが『.doto』の制作です。オホーツク、釧路、十勝エリアにチーム分けをして、それぞれに属するメンバーを決めて、自分たちが「めっちゃいいと思うものをつくる」。最初の決め事はそれだけでした。

『.doto』は、道東での生き方を通して見る地域の情報

「制作費をクラウドファンディングで募るとき、リターンのひとつに『制作お手伝い』を入れたんですね。お金をいただいたうえに、無償で制作にも関わってくれる奇特な人が果たしているのだろうか、と最初は思っていました。フタを開けてみたら50人も集まっていて、そんなに多くの人が道東に対して熱い思いを持ってくださっていると思うとうれしかったですね」

中西さんポートレート

もともと関わってくれる予定だったクリエイターも合わせると、100人近い規模で制作をすることに。どんなものを作るかは各々に任せていたため、統括編集である中西さんは「みんなはなにをするのかな」という思いで待っていたといいます。

「あがってきた原稿を見て、これは道東での生き様を通して見る地域の情報だ、と思いました。それで生まれたのが『道東で、生きている』というキャッチコピーです。つくり手が多い分、企画もトーンもバラバラなのですが、根底に流れているものはみんな同じだった」

有名なお店や観光地は載っていないかもしれないけれど、道東に関わりのある自分たちのフィルターを通してすごいと思った人、美しい場所、居心地の良いお店などのなかから本当にいいものだけを紹介したい。できあがった誌面は、そんな想いであふれていました。

.dotoオフィシャルガイドブック

中西さん自身、関東に住んでいたときに「北見出身です」と言って、首を傾げられる経験を何度もしてきました。「北海道出身です」と言えば、いいところだね、と返される。北海道は地元だけれど、北海道=北見かというと、感覚として少し違う。そんな揺れたアイデンティティのなかで「地元は、北海道の東側なんだよ」と自信を持って言えたら…。

「同じような思いをしている人がきっとたくさんいたんだと思います。ガイドブックができたとき、個人で何冊も買って配ってくれた人がいたんです。たぶんみんな『ここが地元なんだよ』『ここが私の好きな場所なんだよ』って紹介する、名刺代わりにしてくれたんだろうなって」

たくさんの人から届いた「道東で実現したい理想」

そして、ガイドブックができて2年後の2022年9月に『.doto』の2号目となるビジョンブックが発売されました。今回の目玉は、クラウドファンディングで支援してくれた人に「あなたが道東で実現したい理想」を掲げてもらうこと。1000人を目標に集め、それをすべて誌面に掲載するという、壮大な企画となりました。

.dotoビジョンブック

.dotoビジョンブック2

1号目のガイドブック同様、表紙も4パターンご用意。どれを買おうか迷います

「クラウドファンディング中、本を作る前からたくさんの人に、道東で実現したい理想を送ってもらいました。みんな本当に熱い想いを書いてくださって、それを読んだだけで『ああ、この企画を立ててよかった』と思ったんですね。感動して、自分たちのほうが背中を押されたような気持ちでした」

クラウドファンディングの面白さは、募集終了時点ですでにリターンとして本を渡す相手が決まっていること。ビジョンブックの場合、つくる前から1300冊もの本の行先が決まっていたといいます。

「道東で実現したい理想を掲げてくださった人たちに対して、僕たちが本を作ってお返しする。まるで手紙のようなやり取りだなと思いました」

道東の外にいる人との関係も、大切にしていきたい

中西さんポートレート2

Photo by Keisuke Harada

これまで自分の地元である道東エリアを掘り続け、面白いものを見つけては発信してきた中西さん。実際に中西さんが関わったメディアに触れて、東京からUターンして家業を継いだり、やりたいことを実現させるためのフィールドとして道東を選んだりしてくれる人が現れているといいます。

ドット道東は現在、人とのつながりや持っている情報を活かして、道東で働きたい人と働いてほしい人の求人マッチングメディア『道東ではたらく』を運営しています。同時に「遠く離れたところに住んでいるけれど道東に関わりたい」と思う人を関係人口にしていく方法についても模索中です。

道東ではたらく

「道東は地元だけどいまは離れて暮らしている、前に住んだことがある、何回も旅行に来たことがある…という人もたくさんいらっしゃいます。遠いところから道東を気にかけてくださる人たちに支えられて、僕らもここまで来ることができました。そんなみなさんと道東との継続的な関係をどうやってつくっていくか。今後はそのあたりに力を入れていきたいです」

人口のほとんどは転出超過ですが、たとえば外から道東との関わりを持つことができる人が増えれば、別に人口が減っていることにはならないんじゃないか、と中西さんは考えます。

「いままで見えていなかった地元の良さを知ったり、仲良くなれそうな人との出会いがあったりすれば、リモートでも一緒に何かできるかもしれませんよね。そのきっかけづくりを、ドット道東が担えたら」

道東の風景

Photo by Keisuke Harada

自分たちの課題感がベースとなって「あったらいいな」が生まれる。「10年前なら確実に関わりたいと思っていたことを、いまやれている気がします」と中西さんは話します。

端から端まで車で走って5〜6時間もかかる道東を自分の足で開拓し、面白いと思ったものだけを発信し続けた結果、仲間と出会って活動はより色を帯びたものになりました。これからどんな話題で、人々の興味をかっさらうのか。中西さんとドット道東の取り組みから、今後も目が離せません。


サムネイル画像:Keisuke Harada(Instagram

中西 拓郎さん 中西 拓郎さん

1988年生まれ、北海道北見市出身。防衛省入省後、2012年まで千葉県で過ごし、Uターン。2015年、『道東をもっと刺激的にするメディア Magazine 1988』創刊。2017年、一般社団法人オホーツク・テロワール理事・『HARU』編集長就任。2019年5月、道東の主体的な活動を促す共同体・一般社団法人ドット道東を設立・代表就任。ローカルメディア運営他、編集・プロデュース・イベント企画に『道東誘致大作戦』など。幅広く道東を繋ぐ仕事を手がける。

▼中西 拓郎さんについて詳しく知りたい方はこちら!
Domingo ローカルプレイヤーページ / https://dotdoto.com/ / https://1988web.com/ / note

ライタープロフィール

仲野さん 仲野聡子

生まれも育ちも日本一人口の少ない鳥取県。高校卒業後に上京し、東京に20年ほど住んだのち、2017年8月に喜茂別町に家族と移住しました。羊蹄山麓の澄んだ空気や豪雪を楽しみ、日々人の温かさに触れています。

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