Domingo編集部
老舗旅館の四代目女将であると同時に、津軽海峡を挟んで女性たちがフレキシブルにまちづくりに取り組む「マグ女(じょ)」メンバーとして活動しています(集合写真の最後列 右から2番目の着物姿が夏子さん)。
目次
「好きな道を」と言われて選んだ四代目女将の道
工藤夏子さんが8年間勤めた札幌の銀行を退職し、実家の旅館を継ごうと決めたのは30歳の時でした。
温泉旅館矢野は、福島町の矢野家に生まれた夏子さんのひいおばあさまが戦中に創業。その娘である矢野正子さんがのれんわけのような形で隣まちの松前町で1951(昭和26)年に始めた旅館です。その後、夏子さんの母親・冴子さんが女将を継いで三代目。
幼い頃から宿に出入りし、宴会の座布団敷きを手伝ったり、おばあさまがお客様用の熱燗を温めている姿を見てきた夏子さんでしたが、「一度も“継いでほしい”とは言われなかった」と打ち明けます。
「むしろ、“どこにいても、どんな仕事でも生きていけるように”と、小学校を卒業したら札幌の寄宿舎付きの中高一貫高に出されまして(笑)。母も祖母から“自分の好きな道を行きなさい”と言われていたようで、同じことを私に言ってくれました。ですから、私が30歳の区切りに新しい道を歩きたくなったから実家に戻るね、と伝えたときは両親共にビックリしていました」
実家とはいえ、女将業に入ったからにはそれなりの準備や覚悟も必要です。母親から「スタッフに何かあった時はすぐに自分が代役を務められるように」と言われた夏子さんは、送迎用のマイクロバスを運転できるように大型バスの免許と調理師免許を取得。
さらには同業者のよしみで鶴雅リゾートが経営する旅館で修行し、玄関対応や窓拭き、朝食準備など一通りの仕事を経験したといいます。
「仕事が終わると、スタッフみんなで飲みに出るんです。その時にみなさんがどの部屋にも灯りがついている自分たちの館(やかた)を見て、“どうだ、うちは満館だろう?”と胸を張る。その姿を見て、“ああ、私もこんな風に自分たちのことを誇らしく思ってくれるスタッフがいっぱいいる館にしたいな”と、女将業の一番大事な部分を教わりました。右も左もわからない私を受け入れてくださった鶴雅の大西雅之社長には心から感謝しています」
長く働いてほしいから、思いきって職場環境をチェンジ!
“若女将の帰還”を応援してくれたのは、夏子さんが小さい頃からよく知る従業員のみなさんでした。下は30代から最高年齢は76歳(!)までの気心知れた面々が温泉旅館矢野を支えています。
夏子さんは思います。このまま長く、本人たちが納得いくまで元気に働いてほしいーー。だからこそ取り組んだのは、職場環境を見直すこと。
「旅館業には終日シフトの合間に休憩を入れる“中抜け”という働き方があるんですが、それだと体が休まらないんですね。なので私が帰ってきてからすぐに、早番・中番・遅番の3シフト制に変えました。それから母の時代にはお風呂掃除の人たちが洗濯も担当していましたが、干す作業がなかなかの重労働。担当を分けることにしました。もともと、うちは1人の従業員が複数の業務を担当できるのが持ち味です。コロナ禍でもずいぶんそれに助けられました」
部屋食から別室に食事処を設けたのも、老舗旅館にとっては思いきった試みでした。
「旅館というと部屋食のイメージが強いと思いますが、実はお部屋ごとに温かい料理を運んだり、お客様がお飲み物の追加を頼みたいときの時間差を考えると、常時スタッフの目が行き届くお食事処でご提供できるほうが、サービスのクオリティは高くなるんです」
お客様にも、30名近くの従業員にも居心地のいい場を作る。そうした夏子さんのはたらきかけが功を奏して、2020年以降のコロナ禍、観光業にとっては我慢の時でも矢野からは一人の退職者も出ませんでした。
「今のメンバーだから今日まで乗り切ることができたと思います」という夏子さんの言葉は、関係者全員の気持ちを代弁しているのではないでしょうか。
有形文化財の蔵をカフェに改装、松前史の語り部に
松前にはJRの駅がなく、宿までは新函館北斗駅から車で2時間弱。公共交通機関を使うと木古内駅から函館バスに乗って約1時間半と、お世辞にもアクセスが便利な場所とは言えないかもしれません。
「“ついで”に来れるような場所ではない松前に、それでも“来たい!”と思ってくださるお客様には、その期待値を上回る満足度を提供したい。旅館とは、まちと一緒に栄えていくものですから」と、夏子さんは語ります。
そんなまちと旅館の相関関係を後押しするかのように、2022年7月に新たに誕生した矢野直営の飲食店が、190年前の土蔵を改装したカフェ「居見世 茶蔵 sakura」(いみせ・さくら)です。
建物は、温泉旅館矢野が所有する松前町有形文化財「松本家土蔵」。1831(天保2)年に建てられたという記録が残っています。
松本家は代々、江戸・明治期に日本海まわりで北海道と本州を行き来した北前船(きたまえぶね)の中でも松前藩が所有する「長者丸」の船頭を務めた家系です。
蔵の中には長者丸関連の史料や当時の生活文化を物語る器や襖、掛け軸なども保管されていました。今回の改装にあたり、地元の学芸員の監修のもと、それらの貴重な史料も補修後に内装の一部としてお披露目することに。
「せっかくの貴重な文化財も、ただ放置していては朽ちるだけ。建物ごと松前の歴史の語り部として活用することで、お客様にリアルにまちの歩みを感じていただける空間に生まれ変わりました」
北海道新幹線と地元発信の企画力でつながる「マグ女」たち
夏子さんが所属するまちづくり団体「津軽海峡マグロ女子会」、 愛称「マグ女(じょ)」の始まりは、2009年に観光庁が主催したまちづくりセミナーに参加した夏子さんと、松前町と同じくマグロ漁で知られる大間町で自称「まちおこしゲリラ」と称して活動する島康子さんが意気投合したところから。
「2016年の北海道新幹線開業を前に、津軽海峡を挟んだまちまちでいろんな動きが始まったとき、いわゆる行政や既存の組織の枠組みにとらわれない形でまちを盛り上げたい。それができるのは女性たちなんじゃないかと、島さんと盛り上がりまして。これに賛同してくれそうな近隣の女性たちに、マグロの一本釣りみたいに声をかけていきました(笑)。2014年の結成以来、今は90名を超えるメンバーが集まっています」
職種も地域もさまざまなマグ女の活動は、全員で一斉に同じ企画に取り組むのではなく、企画内容も開催時期も地域単位。事前に実行委員会などのかしこまった組織は作らず、「乗り合い」できそうなときは一緒にやる。女性らしい「実」重視の運営です。
「マグ女企画の特徴は、青森県五所川原市名物の立佞武多(たちねぷた)を外からではなく佞武多の中から見るツアーや、私のところでしたら〈藩主料理と女将のガイド〉プランなど、地元を知る自分たちからできる企画と、ビジネスとして適正な価格設定。青森・北海道を結ぶ北海道新幹線というハードがつながり、同じ志や悩みを共有できる仲間というソフトもつながっている。実はこれってすごいことですよね」と、夏子さんは胸を張ります。
「マグ女のまちは、一般には田舎と言われる小さなまち。でもそのまちには“わざわざ行きたくなる”ような素材が必ずある。それを掘り起こすのが私たちの役目。田舎が元気になることではじめて日本全体が活気にあふれ、北海道新幹線の本当の効果が発揮されると思います」
2022年3月には函館空港ICから木古内ICまで高速道路が通り、空港までのアクセスが約30分に縮まりました。「これが追い風になってくれたら嬉しいです」と期待を寄せる夏子さん。
これからは「居見世 茶蔵 sakura」という拠点も増えて、「マグ女」の腕の見せどころです。
工藤夏子さんおすすめの松前周辺・青森の食、場所、土産は、HAC 北海道エアシステムの機内誌で紹介中! 北海道内を飛行機で巡って、チェックしてみてくださいね!
温泉旅館矢野 女将 / 津軽海峡マグロ女子会 工藤夏子さん
1973年北海道松前町生まれ。北洋銀行札幌本店に8年間勤務したのち、大型免許や調理師免許を取得し2005年に実家の温泉旅館矢野で女将修行を始める。2018年、母の冴子さんからバトンを渡され、四代目女将に就任。2014年、大間町の島康子さんと「津軽海峡マグロ女子会」結成。2022年7月、矢野直営のカフェ「居見世 茶蔵 sakura」をオープン。松前町の新たな観光スポットとして人気を博している。「娘がいるんですが、娘にも私が母から言われたように“自分の好きな道を行きなさい”と伝えています」
●温泉旅館矢野 https://www.matsumae-yano.com/
●津軽海峡マグロ女子会 https://magujyo.link/
ライタープロフィール
佐藤優子
ライター。札幌在住。WEBマガジン「北海道書店ナビ」で北海道の書店や出版社、本にまつわる人たちを応援しています。札幌・北18条の新刊書店「Seesaw Books」棚オーナー。道南のいさりび鉄道を通して北海道の鉄道観光を描いた『〝日本一貧乏な観光列車〟が走るまで ながまれ海峡号の奇跡』著者。Twitter/Facebookにいます。