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Domingo編集部
パンを通じて「マイクロハピネス」が広がる世界に
「パン屋はとても身近な存在で、レストランと違って気軽に行ける場所ですよね。そんな日常生活のちょっとした喜びや、テンションが上がるようなことを『マイクロハピネス』と呼んでいます。日本が持っている価値を見直し、幸せはすでに身の回りにある=私たちにはおいしい十勝の小麦がある、ということを、パンを通じて伝えていきたい」
そのために、店舗での営業のみならず、社長自ら移動販売車でパンを売りにいくこともあります。移動販売車といっても、車の壁面を開けて選んでもらうスタイルだと、杉山さんが考える「お店での楽しみ」をお客様に提供することができません。そこでお客様には、バスのように車の中に乗り込んでもらい、直接パンを選んでもらうことにしました。そうすることで、お店に行ったときと同じ体験ができるからです。
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「ますやのバス」はいつも行列!コロナ禍は、店舗に行くことをためらうお客様にも喜ばれたそうです
「パン屋がないエリアのお客様、あるいはあっても遠くてなかなか行けないなどの事情を抱えたお客様にも、お店でパンを選ぶという体験をしてもらうことができます。これがすごく好評なんです。保育所や幼稚園のイベントとしても活用してもらっていますが、子どもたちにとっては生まれて初めてひとりでする買い物なんですよね。パン屋に入ってパンを選んで自分で取り、お金を払う。緊張しているのか真剣な顔をしている子が多いですが、終わった後は非常に喜んでくれます」
子どもだけでなく、移動販売車の中で「あんドーナツ…」などと呟きながらパンを探しているご高齢の方を見ると「この人は人生のなかで、どれくらいうちのパンを食べてくれたのだろう」と想像して、心から喜びが湧いてくるといいます。
そんな杉山さんがいま掲げているビジョンは、「2030年、十勝がパン王国になる」。生産者、パン職人、消費者など、十勝産小麦のパンでつながる人々が、限りなくマイクロハピネスを感じられるような「パン王国」を実現させることが、杉山さんの夢です。
パン王国構想のひとつが、「パンのテーマパーク」の建設。満寿屋商店が展開するフラッグシップ店舗『麦音』は日本一の面積を誇るパン屋ですが、さらに敷地を3倍程度に拡大し、地産地消パンをテーマにした売り場をつくりたいと考えています。
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麦音店内の様子。広い店内にパンがたくさん並んでいます
「十勝は農業が盛んですが、外から来た人たちが農業を感じる機会が豊富にあるかというとそうではないですよね。もっと十勝の人や物とつながりができてこそ、初めて得られる喜びがあると思います。パンはもちろん、いろいろなサービスを楽しむことで、十勝という場所を実感できるようにしたいと考えているところです」
十勝という土地に根付くパンづくりから地域活性を考える
そして、杉山さんがもうひとつ実現させたいことに『とかちパン』の完成があります。アメリカやヨーロッパで地域に根付いたパンをたくさん見てきたことから、日本一の小麦の生産地である十勝でも、土着のパンをつくることができないか?と考えたことがきっかけになりました。
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2009年からは生産者などと一緒になって『北海道小麦キャンプ』というイベントも開催。十勝産小麦のブランド化に力を入れることで、パンのシェフたちが各地から小麦を見るために十勝にやってくる機会も増えています
「地元のパン屋が集まって『とかちパンを創る会』を結成し、2012年から取り組んでいます。パンづくりや小麦について勉強しながら、よりおいしいパンをつくっていこうという団体です」
いま、とかちパンとして一番有力なのは『オドゥブレ十勝』というパン。水がたくさん配合されている、モチモチ感が特徴のパンです。それをつくるためには、十勝産小麦のなかでも希少価値の高い『キタノカオリ』という品種と、十勝で育まれた清らかな水が必要。まさに、十勝原産のパンなのです。
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オドゥブレ十勝。シンプルな素材の中に旨味があります
「オドゥブレ十勝は2018年に誕生し、実際に販売もしています。しかし食事は、パンひとつで終わるものではないですよね。いろいろな食事と合わせるなど、地域の人たちのライフスタイルに溶け込んでいかなければいけないので、そういう意味ではまだ発展途上です。現在は『十勝パンを食べる会』を発足して、消費者や飲食店スタッフなどと一緒に、とかちパンを十勝産の料理と合わせながら、どうおいしく食べるのか考えています」
基幹産業である農業がまだまだ成長産業である十勝は、日本のなかでも稀有な地域。そして環境のことを考えれば、本来はできるだけ地産地消に努めるのが望ましいはずです。グローバル化やインターネットの普及など、いまいる場所に縛られない生き方が通常だったこれまでは、「必要なものは世界から集めた方が早い」という動きが当たり前でした。しかし、その価値観ではどこで何を作っても同じものが生まれてしまうだけでなく、地域そのものが衰退してしまう。杉山さんは、それを危惧しています。
「だからこそ、いま、地域と人とをつないでいきたい。十勝に根付いて、この地域でしかつくれないものをつくろう、と思ったんです。小麦はパンという形にすれば、十勝でとれるいろいろな素材と組み合わせることができます。まさに、十勝を代表する食べ物なんですよね。まだそこまでに至っていませんが、地域資源をふんだんに使うことで、十勝の価値を高めていきたい。そのようなチャレンジを、十勝パン王国をベースにおこなっていきたいです」
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その情熱の根底には、生まれ育った十勝に対する恩返しをしたいという思いがあります。十勝産小麦から紡がれるおいしい土着のパンが、やがて世界に広まるときを夢見て。十勝パン王国の誕生が、いまから楽しみです。
麦音(満寿屋商店)
■所在地:帯広市稲田町南8線西16-43
■電話番号:0155-67-4659
■定休日:年末年始
■営業時間:6:55~18:00
ライタープロフィール
仲野聡子
生まれも育ちも日本一人口の少ない鳥取県。高校卒業後に上京し、東京に20年ほど住んだのち、2017年8月に喜茂別町に家族と移住しました。羊蹄山麓の澄んだ空気や豪雪を楽しみ、日々人の温かさに触れています。
十勝でモノ作りやコト作りを行う人をご紹介「十勝関係案内セッション」
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