Domingo編集部
かつて蚤の市で購入した函館の古地図についてイスクラさん( https://twitter.com/DDRplanet )がツイートしたところ、大きなリアクションが寄せられています。
今片付けてたら以前ドイツの蚤の市で日本人だから買うのだ!と強引に買わされた函館の地図が出てきました…
— イスクラ コメコンデザイン・東ドイツ東欧雑貨・社会主義建築 (@DDRplanet) April 21, 2022
明治29年(1896年)9月30日発行 pic.twitter.com/o3xMEeeni1
古地図は明治29年(1896年)9月30日発行のもので、なんと126年も前のもの。しかしながら、地図の表面には美しい花が描かれており、当日の函館の活況をうかがい知ることができます。
地図を購入されたイスクラさんは、2005年からオンラインでヨーロッパの雑貨を販売されています。今回お話をうかがうことができました。
――こちらの「地図」はどちらで購入されたのでしょうか
ドイツ東部で行われた2011年の蚤の市です。私は年に2回ほど、ヨーロッパの蚤の市に買い付けに行っているのですが、その時に購入しました。
――お店の方とは実際どんなやり取りでしたか
他の地図を見ていたら「これにも興味あるだろ?日本人なんだから」って半ば押し付けられるかのようでした(汗)私は普段ヨーロッパの古物を販売していて(ISKRA ONLINE SHOPはこちら)、古地図も取り扱っており、欲しい方がいるかと思い購入に至りました。
――購入された地図は実際どのようなものなのでしょうか
函館の市街図で大きさは55cm×44cmほどの一枚の地図です。折り目に沿って裂け目があるなど、あまりいい状態ではありませんでした。
――今回Twitterでリアクションがあってどのように思われましたか
2011年、購入した際につぶやきましたがその時は反応がなくて自宅に保管していました。資料館においてもらった方がいいのかなと考えつつ年月が経ってしまい忘れていたんですが、 先日ゴールデンカムイを読んでて、函館駅に汽車が突っ込んで海に落ちたので、そういえば当時の地図があったはず!と思い出した次第です。
イスクラさん、ありがとうございました!
ではこちらの地図は一体どのようなものだったのか、街歩き研究家の「ブラサトル」こと和田哲(さとる)さん(https://twitter.com/satoru_wada)に見ていただきました。
この地図の発行年は明治29年(1896)。市電の前身・馬車鉄道が開通する前年で、JR線の前身・函樽鉄道が開通する6年前です。もちろん青函連絡船もまだありません。描かれている鉄道路線はすべて予定線で、函樽鉄道の起点である函館駅(初代)は現在の駅よりも北(手前)の海岸町にあったことが分かります。
街の中心は現在の西部地区で、元町公園にあった函館区役所を中心に大きく描かれています。後の函館駅開業や繰り返された火災を経て、街の中心は十字街や函館駅前に少しずつ移動しました。
そして興味深いのは、五稜郭が描かれていないことです。今でこそ五稜郭は観光名所ですが、当時は箱館戦争の記憶がまだ生々しかった時代で、ましてや新政府の敵だった旧幕府軍のシンボルをあえて描かないという判断があったのかもしれません。(和田哲さん)
(2022年6月1日追記)
同じ地図の高解像度画像が国際日本文化研究センターのサイトで公開されているので確認したところ、五稜郭は左下の隅に描かれていました。函館山の麓に旧幕府軍の戦死者を慰霊する「碧血碑」が名前入りで描かれていることに照らしても、箱館戦争や旧幕府軍の史跡がタブーだったという私の想像は間違っていました。お詫びして訂正するとともに、ご指摘いただいた方に感謝申し上げます。(和田哲さん)
和田さんの解説と共に改めて古地図をみると、より鮮明に函館の状況が浮かび上がってきます。 ドイツの蚤の市でたまたま出会った古地図は、100年以上の時を経て、今の私たちに当時の様子を教えてくれました。
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