Domingo編集部
日本企業のハードワークに「もう死ぬ」
カリフォルニアの大学に5年間在籍したあと、現地の環境コンサルティング会社に2年勤めた菊地さん。25歳のとき、日本のコンサルティング会社に転職しました。
ところが、休日やプライベートの時間を大切にするアメリカの働き方に慣れていたため、あまりのハードワークさに「逆カルチャーショック」。夜中の3時にミーティングが入り、朝方5時に資料作成……という流れが普通だったといいます。
「上司が、眠くてどうしようもないからと、ボールペンで(上司自身の)太ももをブスブス刺してるんですよ。そんな環境で、『あと1年つづけたら、心身ともにもう死ぬんじゃないか?』と思いました」
27歳で東京の会社を退職したあとは、2年間、馬術に没頭。菊地さんは生き物のなかでも「馬」が好きだったのです。理由は、美しいから。それまで使う暇もなかったお金で、ニュージーランドの馬術チームの監督の家にホームステイし、そこで、美しい風景にも出会いました。
「環境に興味があるのは、もともと自然の美しい風景や、動物が好きだからなんです。それを守るひとつの手段として、環境を守りたい。ニュージーランドの風景は開発される前のカリフォルニアのように感じられて、本当に綺麗でした。今もいろいろなことをやっていますが、最上位にはいつも、『美しい風景をつくりたい』という大きなテーマがあります」
しかし、仕事をしない生活は長くはつづかず、気づけば貯金はゼロに。人とのご縁で、東北大学の研究員やコンサルティング会社の仕事に就き、11年が経ちました。
転機は、38歳のときでした。カリフォルニアの大学で知り合い、その後交流がなかった恵実子さんと、20年越しに東京で再会したのです。そして、半年でスピード結婚。東京での生活に疲れていた恵実子さんと、「もっと環境問題に当事者としてかかわりたい」「馬と暮らしてみたい」と考えていた菊地さんの思いが一致して、東京を出ることにしたのです。
アメリカ・東京・岩手……そして白老へ
移住先に選んだのは、日本有数の馬産地である、岩手県遠野市でした。SNSを通じて、2頭の農耕馬をひきとることもできた菊地さん。「馬は草を食べて、その力で人や荷物を運ぶ。これは再生可能エネルギーだ」と気づき、遠野で、“馬と人が共生する地域づくり”を始めました。
その時期、遠野市では、地域づくりイベント「遠野みらい創りカレッジ」を開催していました。菊地さんはこのプロジェクトにも参加していました。
すると数年後、白老町から菊地さんへ、100人以上が参加する地域づくりセミナーに「遠野みらい創りカレッジ」の実践者の一人としてお話してほしい、と依頼があります。白老に新しい自社施設をつくっていた東京の大手スキンケアメーカーの社長が「遠野みらい創りカレッジ」を町に提案したのがきっかけだといいます。
「これが、白老町との出会いでした。社台(しゃだい)という世界的な馬産地が白老にあることもこの時初めて知りました。当時、馬の環境を変えたいと思っていたし、東京のコンサルティングの仕事もまだ受けていて、東京への移動時間も、岩手は新幹線で3時間半だけれど、白老なら千歳から飛行機で2時間かからないんですよね。それで『北海道もありじゃないの?』と」
こうして2017年、妻と娘、2頭の馬とともに白老町へ移住。収入のベースを確保するため、白老町の地域おこし協力隊に応募しました。
「ジェットコースター具合がやばいですよね(笑)。一時は貯金もまたゼロになりましたし、怖いですよ。怖さしかないけど、とにかく進むしかないから」