Domingo編集部
北海道の十勝、帯広市街地の真ん中に旧ホテルを改装した宿泊施設があります。名前はアイヌ語で「原野」を意味する『NUPKA(ヌプカ)』。コンセプトは「大自然と街を旅するホテル」です。
街中で十勝の文化を感じながら、十勝の自然、農産物、またそれから生まれるビールやワイン、チーズ、ソフトクリームなどの乳製品、さらに肉やジビエ加工品などのおいしい料理やお酒、そして温泉を楽しめる拠点として誕生したNUPKA。総支配人の坂口琴美さんは十勝の出身で、海外留学や東京での飲食店経営を経て、不思議な縁に導かれるように十勝に戻ってきました。
学生時代からサービス業に携わってきた坂口さん曰く「宿は極み」。ただ宿泊する場ではなく、地域のコミュニティスペースとしても機能するNUPKAの誕生には、どのような経緯があったのでしょうか。
場を持つだけで人が集まり、新しいことが生まれる
幕別町で生まれ育ち、高校3年の時にアメリカに留学。その時代の日本の「いい大学に入って、いい会社に就職して…」という価値観に違和感を感じていた坂口さんは、留学して初めて、広い世界の民族間や国民性、生き方に触れたといいます。
アメリカに留学し、初めて己の足元を見つめ直した坂口さん。帰国して東京の大学に進学してからは、ジャズバーでアルバイトを始めました。音楽にこだわるその店には食にこだわりのある人も多く、小さいころから周りに生産者が多かった坂口さんはおいしいものにも興味を持ちはじめ、追求するほどに楽しさを感じていったといいます。また、常連客と密に触れ合えるのも魅力的でした。
お店で働いていなければ会えないような人たちと会えたり、何気ない会話から音楽イベントが生まれたりと、場を持つだけでつながりたい人同士がつながれる楽しさを実感したのもこの頃です。この経験は生涯の財産となり、その後進む道に大きな影響を及ぼします。
大学3年生で、知人とダイニングバーを開業
そして3年間はすぐに過ぎ、あっという間に就職活動期に。当時は、超就職氷河期です。さらにインターネットも黎明期で、仕事について調べようにも情報が少ない時代。そんななか坂口さんは、自分は何がしたいのか?と考え、漠然と「伝えることがしたい」という思いに行き着きました。
まだ20代前半の決断としてはかなり大きなものだったと思いますが、坂口さんは就職活動をやめて東京・足立区で知人と一緒にダイニングバーを開業します。そこで経理やアルバイトのシフト管理をしながら、ジャズバーのアルバイトも継続し、大学にも通い続けました。
坂口さんにとってお店を開くということは、場づくり的な意味合いも強くありました。食べ物を出すだけでなく、「地域の公園」でありたい。好きなものを同じくする人が気軽に立ち寄れる公園があれば、そこから何か新しいものが生まれるということは、ジャズバーのアルバイトですでに経験していたことです。
同時に、飲食店経験を極めれば極めるほど、その難しさも実感していきます。
「サービス業の極み」である宿を開業しようとしたが…
そんなとき、自分が通っている美容室があった東京の谷根千(やねせん)というエリアに魅了されます。山手線の内側という一等地にありながら、寺や墓地が多くて高い建物がないから空が広い。「東京にもこんな場所があるんだ」と思った坂口さんがなんとなく物件を探し始めると、谷根千の隣にある千駄木という街にようやく小さな物件が見つかりました。
引き続き飲食を続けるにも、興味のあった東南アジアの家具や雑貨を売る店にするにも手狭だからと、ハンバーガーショップを開店することになったのが2003年のこと。当時はまだ散歩する地元の人がちらほらいるくらいの静かな街でしたが、徐々に観光客が増えていったといいます。もともと東京芸術大学や東京大学が周辺にあり、外から街のコアなファンが集まってくるような文化的な場所。「そこから生まれるイベントなども面白くて、こうして人は渦を巻いていくんだな、という変化を肌で感じた時代でした」と、坂口さんは話します。
お金が紙切れに変わるような価値観の転換により、坂口さんは「これ以上、東京にモノをつくっていいのか」と自問するようになります。結局借りる予定だった敷地も手放してしまい、その時点で、宿を経営する、という坂口さんの画は一旦断たれたように見えました。
しかし、そこで終わらないのが人生の面白いところ。転機は、他ならぬ地元・十勝の仲間が運んできたのです。
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