Domingo編集部
地域に愛される大衆食堂「はらへー太」
はらへー太は、1961年(昭和36年)から営業している大衆食堂です。
メニューは食事メニューだけでなんと48種類!かつ丼からオムライス、ラーメンや酢豚まで、和洋中の定番メニューを取り揃え、はらへー太に来れば大勢でのご飯でもみんな好きなものを食べられる、そんなうれしいお店です。
中でも人気なのは、炒麺(チャーメン)、チャーハン、広東麺、酢豚ランチ。使う食材はできる限り地産地消を意識しています。
特にチャーハンは、お米、卵は1年を通して栗山町産のものを使用しており、ネギも収穫できる時期は栗山町産。焼豚のお肉は北海道産のものを使っています。
毎日食べても飽きがこない、そんな料理が食べられるまちに根付いて愛され続けるお店です。
はらへー太が歩んできた歴史
現在店長を務めるのは太田宏幸(おおた・ひろゆき)さんで、3代目です。
はらへー太はもともと、主婦だった宏幸さんのおばあちゃんが創業したお店で、これまで60年以上ものあいだ営業を続けています。今でこそいろんなお客さんがきてくれるようになりましたが、苦しい時代もあったのだそう。
「ラーメン二杯しか売れない日もありました。火事でお店が全燃してしまったこともありました。その時にね、おばあちゃんは大火傷を負ったんですけど、その後も現役続けてきた。そんな中で苦労しているおばあちゃんの姿をみて助けたいと思ったのが私の父で、2代目として継いでお店を盛り立ててくれて。それで今は、8年ほど前に僕が3代目として店長になりました。」
あたたかいお店づくりは代々受け継がれ、何度も訪れてくれる常連さんも多いのだそう。
「60年もやっていると、本当に小さい頃からうちに食べに来てくれていた子がどんどん大きくなるんですよ。子どもからお年寄りまで、お盆の時になると4世代でくる方もいるんです。みんなとともに歴史を積み重ねてきてるんだなと思いますね。」
メニューは創業当時から変わらず愛されているものも多いですが、時代の変化に合わせて変えていくこともあるのだそう。常に時代の流れにアンテナを張って、「今求められていること」への意識を絶やさないといいます。
今求められていることとして太田さんが意識しているのは、「歴史」についてなのだそう。
「飲食で60年続けるというのはどこもかしこもできることではないから、これは一つのブランドだと思うんですよ。
例えばチャーハンの中に入っているチャーシュー。その辺で買ってきたわけではなくて、北海道産の肉をうちの煮汁で煮付けています。この煮汁はもう何十年も継ぎ足し継ぎ足しで使っているから、もう肉の旨味が溶けだしているんです。一朝一夕で真似できるものではないんですよ。」
積み重ねてきた歴史とともにあるはらへー太にしか作れないおいしさが、お客さんに愛される理由のひとつであることは間違いありません。
はらへー太のおいしさの秘訣は「お客さんへの真心」
宏幸さんが3代目としてお店を任されるようになってから、はらへー太では店内に大きな変化が。
たとえば味を安定させるため、「レシピ化」に取り組みました。
昔は ”だいたい大さじ1” のようにどんぶり勘定で味付けをしている飲食店も多かったけれど、それでは安定した品質の料理を提供することはできないし、1人前のレシピが決まっていなかったら、10人前、100人前はおいしく作れるはずがない…。そんな考えのもと、宏幸さんは全メニューのレシピ化を決行しました。
また「作業の合理化」にも力を入れ、厨房の中では一歩でも少ない歩数で仕事が済ませられるよう、皿一つの配置から見直しを行い、厨房のデザインや人の動線を変更。今まで2人で1時間かかっていたものが、機械の活用により1人で20分でできるようになり、厨房の中でスタッフが動きやすい環境を作りました。
「結局のところ、お客さんに早くいいものを提供したいっていうそれなんですよ。
自分もサラリーマンとして働いていたので、お昼の休憩時間の希少さっていうのはわかるんですよ。少しでもそういった気持ちに応えるべく、”スピード”と”ちゃんとした品質”の両立は心がけていますね。秒単位で意識しています。」
また、接客でもすごく大事にしていることがあるといいます。それは、”お客さんを知る”ということ。
なんと太田さんの中には、お店に来てくれたり出前を頼んでくれるお客さんの、好みやいつものオーダー、好き嫌いのある食材など、何百人ものデータベースが入っているのだというから驚きです……!
「お客のことを知る。それが自分たちにできる接客サービスの一つだと思っています。だから、こんな田舎に”大型チェーン店がやってきました、黒船がやってきました”っていっても、”客を知る”という面では決して負けない。そう簡単にできることではないからこそ、それも一つの強みにしてますね。」
はらへー太のチャーハンを食べた時、私が感じたのは「これはいつまでも食べていたい、毎日でも食べたいチャーハンだな」ということ。
この理由は、料理にこだわりと真心がたっぷり入っているからなんだなあ、と宏幸さんのお話で納得。ぜひ皆さんにもはらへー太の料理を食べて実感してもらいたいなと思います。
エンジニアから厨房へ。脱サラしてお店を継いだ3代目宏幸さん
東京の大手企業でシステムエンジニアとして半導体設計の仕事をしていた宏幸さん。2010年に東京から栗山に戻り、調理師免許をとるために学校に通いつつお店の手伝いをしていました。
小さい頃から“跡を継ぐ”ことは意識していたけれど、そのままエスカレーター式にお店を継ぐことに対しては疑問を持っていたといいます。
「このままあとを継いだところで、店としての成長は伸び悩むのではないかなと思って。まずは鮭みたいに、川に稚魚として放流されたあと一度海に行って成長してこなければっていうのは、小さい頃から思ってました。」
宏幸さんは、全く異なる業種である半導体設計という仕事から様々なことを学んだといいます。
「グループ企業も合わせると10万人もいる大きな会社だったので、いろんな人の物の考え方だとか、大きな組織を動かすっていうのはどういうことなんだろうという経営的なことも学んだような気がします。畑違いのことやってたやつがどこまでできるんだ?と思われていた面もあったけれど、かえっていろんなものをみてきたのが僕の強みかなと思います。」
はらへー太で取り組んできた、経営や作業の合理化はシステムエンジニア時代に学んできたことから繋がっていたのです。
老若男女が気楽に入れて、愛される店でありたい
宏幸さんに「どんなお店でありたいですか?」と質問すると、今後も愛されるお店でありたい、とのお答え。愛されるお店づくりのための様々な工夫をお聞きしたので、言葉に重みを感じます。
「奇を衒ったものではなくて、地味だけれど真似できないような、こだわりの逸品を作り続けたいと思っています。
常に、自分たちが提供しているもにに満足はしていないんです。ノートをつけながら加熱時間を変えて実験したり、研究に研究を重ねて追求の日々ですね。そんな中で、お客さんが帰り際に言ってくれる”あ〜美味しかった!”ってさりげない一言が職業冥利に尽きるのかなと思います。真心入ってますからね。」
一度食べればきっとみんな、あのチャーハンが、炒麺が、広東麺がまた食べたい!と思ってしまう力を持った、はらへー太のメニューの数々。
お客さんの期待に応えたいという強い気持ちと真心、潰えることのない味への探究に、そのわけを垣間見たような気がします。
ぜひ皆さんも一度、はらへー太で食事をしてみてくださいね。
コーディネーター
料理家 松田真枝
北海道在住。昆布を愛するイタリアン発の料理家です。 dancyu シリーズ連載「昆布はどこへ行く。」 エシカルはおいしい!! 「昆布のテロワールを訪ねて」 雑誌、テレビ、新聞、市町村応援レシピ。水産庁企画「海の恵み食の底力JAPAN」料理家レシピ掲載
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